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アリスティド・マイヨール
(Aristide Maillol)
1861年12月8日 - 1944年9月27日
フランス
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| パラソルを持つ娘 |
アリスティド・マイヨールは、19世紀末から20世紀前半に活動したフランスの彫刻家、画家です。
オーギュスト・ロダン、アントワーヌ・ブールデルとともに
近代ヨーロッパを代表する彫刻家の一人です。
ファーストネームは日本語では「アリスティード」「アリスティッド」とも表記されます。
マイヨールといえば彫刻家として有名ですが、
1882年にパリに出たときは画家を目指して「エコール・デ・ボザール」に入りました。
タピスリーの制作で目を痛め、その後彫刻の道に進み才能を発揮しました。
マイヨール
(Maillol)
『パラソルを持つ娘』
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マイヨールの肉感的で
力強いささえ感じさせられる
女性の彫刻作品とは
違った印象です。
パラソルを持つ娘の目線の先に
あるものは何なのでしょう?
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マイヨールの「パラソルを持つ娘」の本物は、
オルセー美術館に所蔵されています。
生涯
マイヨールは1861年、フランスの南端、
スペイン国境の地中海岸に位置するピレネー=オリアンタル県の
バニュルス=シュル=メールに織物商の子として生まれました。
父は商売の関係でアルジェリアに出かけていることが多く、マイヨールは伯母のもとで育てられました。
マイヨールははじめ画家を志し、1882年にパリに出ますが、
国立美術学校(エコール・デ・ボザール)には入学を拒否され続け、
1885年にようやく入学を許可されました。
同校ではアレクサンドル・カバネル、ジャン・レオン・ジェローム、
ジャン=ポール・ローランスらのアカデミスムの画家たちに師事しますが、
彼らの授業には失望し、ピエール・ボナール、エドゥアール・ヴュイヤール、
モーリス・ドニら、いわゆるナビ派の画家たちと親交を深めます。
このころ、同い年の彫刻家アントワーヌ・ブールデルと知り合い、
またポール・ゴーギャンの影響を強く受けました。
1893年には生地のバニュルス=シュル=メールに戻り、
絨毯(じゅうたん)やタピスリー(綴織)の工房を始めました。
その工房の助手として雇っていたクッティルド・ナルシスと後に結婚しています。
マイヨールは1895年頃から木彫やテラコッタなどの彫刻の小品を手掛けるようになり、
1900年以降はタピスリーの仕事で視力を弱めたこともあり、
絵画を断念し彫刻へ向かうようになりました。
1902年には当時の有力な美術商であったアンブロワーズ・ヴォラールの店で
初の彫刻の個展を開いています。
ロダンは、この展覧会の出品作であった「レダ」を絶賛しました。
こうして彫刻家に転身した時、マイヨールはすでに40歳を超えていました。
1903年にはパリ郊外のマルリー=シュル=オワーズに移転して制作を続けました。
1905年にサロン・ドートンヌに出品した初の大作裸婦像「地中海」が認められ、
以後、彫刻家としての地位を確立していきます。
1905年は絵画の分野でフォーヴィスムが台頭した年でもあり、
マイヨールは同年にはフォーヴィスムの中心的な画家であるアンリ・マティスとも知り合っています。
以後、40年にわたって彫刻家としての制作活動を続けていきますが、
マイヨールのテーマは一貫して裸婦像でした。
1908年にはイタリアおよびギリシャへ旅行し、古典彫刻への理解をさらに深めていきます。
1934年、ディナ・ヴィエルニーという女性と知り合い、
以後この女性は晩年のマイヨールのモデルを約10年にわたって務めました。
1939年、戦火を避けて故郷のバニュルス=シュル=メールに戻り、制作を続けました。
大戦中の1944年、故郷で自動車事故に遭い、死去。82歳でした。

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