晩鐘

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晩鐘


ミレー
(Millet)



晩鐘
ジャン=フランソワ・ミレー
(Jean-Francois Millet)
1814年10月4日 - 1875年1月20日

フランス

ジャン=フランソワ・ミレーは、19世紀のフランスの画家です。
写実主義の農民画家としてもその名が知られています。



ミレー
(Millet)

晩鐘
ミレー「晩鐘」 原画同寸【名画ドットネット】ミレー「晩鐘」 原画同寸
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ミレー「晩鐘」 ヘリオトワル 15号 原画同寸
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「かって祖母は教会の鐘が聞こえると畑の仕事をやめ、
帽子をとって祈りを唱えさせたものだ。それを思い出して描いた。」と
ミレーは書いてます。


この静謐な作品からは様々なことが想像されます。





晩鐘


労働を終えた農家の夫婦が、
神と祖先に感謝の祈りをささげる様子を描いたミレー作「晩鐘」。


二人の足元にあるのは、当時貧しい人達の主食であったじゃがいものかご。
貧しくとも、清く正しく生きようとする敬けんなキリスト教信者の日常が、
静かなタッチで描かれています。


「かって祖母は教会の鐘が聞こえると畑の仕事をやめ、
帽子をとって祈りを唱えさせたものだ。それを思い出して描いた。」
とミレーは書いてます。



「晩鐘」は”農民画家”ミレーが、40歳のときに2年の歳月をかけて完成させた作品です。
当時のミレーは、その日食べるのにも困るような生活をしていたそうです。


妻と7人の子供を養うために売りに出された「晩鐘」は、
この時代において物議を醸し出すことになりました。


この頃のフランスは、産業革命によって貧富の差が拡大します。
1849年には共産党宣言も発表され、
農民や労働者が都市の裕福な人々に対して蜂起をくり返すという混乱の時代でした。


そのため貧しい農民の生活をありのままに描いたミレーの作品は、
農民や労働者たちから支持される一方、
都市の裕福な人々からは革命的で危険な絵だと強烈な批判を浴びました。


例えば、ミレーの父親の働く姿を思い出しながら描いたという「種をまく人」。
この絵は、貧しい農民が鉄砲の弾をまいているところを描いた不穏な作品だと
あらぬ中傷を受けます。


畑の収穫でこぼれ落ちた麦を拾う女たちが描かれた「落穂拾い」は、
農村社会での貧富の差の拡大という実情を受け、
ふつうの農民よりもさらに貧しい農民が空腹を満たし、
生活の糧にするために落穂を拾う姿が描かれた絵。


しかし、この絵も貧しさを誇張し、社会秩序を脅かすものだと糾弾されます。
こうして、この「晩鐘」も裕福な都会の人々の反発を招いたのです。


この現象を逆手にとったのが、時の権力者ナポレオン三世でした。
国民投票で権力者の座についたナポレオン三世にとって
国民の大多数を占める農民の支持を得ることは重要な課題でした。

ナポレオン三世


そのために彼は、ミレーの絵に目をつけます。
権力の安定をもくろむ彼は、1867年のパリ万博でミレー展を開き、
「晩鐘」を大々的に公開します。


農民を描いた絵を公に評価することで、農民を帝政側に取り込もうとしました。
こうして政府のお墨付きをもらった「晩鐘」の評価は一転し、
一躍、名画に祭り上げられるのです。


さらに、当時開発されたばかりの写真製版技術によって、
「晩鐘」の複製画が雑誌やカタログに掲載され、
その人気は一般家庭にまで広がっていきます。


こうして、「晩鐘」は、国を代表する人気絵画となっていきました。



当然、取引価格も急上昇します。
売買されるたびに値段がつり上がり、1872年には38000フラン(約3800万円)と、
当時としては最高クラスの価格で取引される絵画となりました。


しかし、この騒ぎに一番戸惑っていたのはミレー自身でした。
絵が政治的に利用されることを最も嫌ったミレーは、
あくまでも、純粋に絵画としての価値を評価されることを望んだからです。


1875年、ミレーはそんな思いを胸に秘めながら60歳でこの世を去ります。
しかし、ミレーの死後、彼の思いとは裏腹に、
今度はフランスばかりではなく、世界中でミレーブームが巻き起こります。


きっかけは、ミレーの友人、アルフレッド・サンスィエの書いた
「ミレーの生涯」という伝記。
”勤勉な農民画家”という、
今日私達がミレーに抱くイメージを作り上げたこの伝記は、
世界中に感銘を与え、大ベストセラーになります。


こうして、ミレーブームに更なる拍車がかかり、結果、
価格も現在の価値にして三億円にまで跳ね上がりました。


またその後、フランスとアメリカによる「晩鐘」争奪戦が勃発します。

フランス 1889年、フランス革命100周年の記念行事として、
再びパリ万博の開催が決定されます。
当時の美術局長は、「晩鐘」を国で買い入れ、
万博で展示することをもくろみます。
圧倒的な人気があったこの絵を、国のシンボルにしようと考えたのです。
アメリカ
同時期、プロテスタントが荒野を開拓してつくりあげた国アメリカでは、
ミレーが描いた敬けんなキリスト教徒の姿が熱烈に受け入れられていました。
なぜなら、プロテスタント教会では、十字架のみで、
キリストや聖母マリアの像はおかれないからです。
そこで、清く貧しい農民の姿を描いたミレーの絵が、
カトリックでいう祭壇画の役割をはたしていたという背景がありました。



1889年7月1日、注目の作品「晩鐘」がオークションにかけられます。
両国競り合った後、フランスが最後の意地を振り絞って55万3000フラン(5億5300万円)で落札!
が、フランスの担当者が落札した額は、当初の予算を大きく上回り、
フランス政府が支払いを拒否する事態となり、結局「晩鐘」はアメリカへ渡ります。


さらにドンデン返しがあります。
フランスのデパート王 アルフレッド・ショシャールが、
「『晩鐘』は国の宝。祖国フランスにあるべきだ」と私財を投じて買い戻しました。
その額、何と8億円!!


発表当時、非難の矢面に立たされた「晩鐘」は、
こうして多くの人々に愛される名画となりました。










ミレーの「晩鐘」の本物は
オルセー美術館に所蔵されています。









〜くろいぬのティータイム
『晩鐘のモデル』




実は、「晩鐘」の農民にはモデルがいたそうです。


ミレー家の近くで洗濯屋を営んでいた女性で、
村でも評判の美人だったとか・・・。


ところが、ミレーはモデルを見ながら描いているにもかかわらず、
顔の表情をはっきりと描いていません。



そのために、人種や国籍を超え、
見た人がそれぞれに感情移入ができるようになっています。


ミレーは、人物を特定しないことで人物の行為、
すなわち「祈り」という行為によって表現される普遍的な美しさ、
謙虚さをあらわしたのでしょう。







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