モネ 睡蓮

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モネ
(Monet)



睡蓮・水の風景
クロード・モネ
(Claude Monet)
1840年11月14日 - 1926年12月5日


フランス



クロード・モネは印象派を代表するフランスの画家です。
「光の画家」の別称があり、
時間や季節とともに移りゆく光と色彩の変化を生涯にわたり追求した画家でした。





モネ
(monet)
睡蓮
 
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「睡蓮」の連作


印象派の巨匠、クロード・モネといえば「睡蓮」があまりにも有名です。
生涯、光を追求したモネでしたが、実は、「睡蓮」との出会いは、偶然に生まれたものでした。


パリの北西90キロにある小さな村ジヴェルニー。
モネは、1890年、50歳の時にこの村に移り住みます。
そして、自分の好みにあった庭を造り始めました。




浮世絵などの東洋の文化に傾倒していた彼は、
池に日本風の橋をかけ、水面を東洋風の睡蓮で覆います。


「睡蓮の 緑のハーモニー」は、
完成して間もない庭を描いた作品です。


中央に太鼓橋。
背景には柳。
庭全体が写し取られ、
睡蓮はまだ主役ではないことが分かります。


しかし、モネの視線は、やがて下へ下へと降りて行きました。

睡蓮の池 緑のハーモニー


ジヴェルニーに移り住んで、14年目のある日のこと。
モネが発見したのは、水面に映る風景の美しさでした。


一瞬の風や雲によって変化してく光と影・・・・。


その後、86歳で生涯を閉じるまでの20年余り、ほかの題材をほとんど扱うことなく、
当初は楽しみのために植えていただけだったという睡蓮を描き続けました。
その数は200点以上にも及ぶと言われています。


光の画家は、初老にさしかかったとき、
初めて人生のテーマと出会ったのです。


「風景のよさはすぐには、分からない。
ある日突然、私はその素晴らしさを発見した」
後年、彼自身が語った言葉です。


画家にとって、毎日のように見慣れた風景。
傑作「睡蓮」の数々は、
そんな日常のなかから生まれたといえます。








1890年代の『睡蓮』には岸に生える柳の木や、
池に架かる日本風の橋などのモチーフが描かれていましたが、
1900年代になると、画面のすべてが水面でおおわれるようになり、
水面に浮かぶ睡蓮、水中の茎や水草、
水面に映る空や樹木の反映が渾然一帯となって描かれています。


晩年は画家が白内障を患い、失明寸前の状態にあったこともあり、
画面は限りなく抽象に近付いています。








パリのオランジュリー美術館の2部屋を占める
『睡蓮』の大壁画は、1918年、
モネの友人でもあったクレマンソー(当時の首相)を通じて、
画家が国家に寄付を申し出たものです。



この『睡蓮』の展示にあたっては

(1)『睡蓮』の部屋には他の作品を展示しない、
(2)作品と観客との間に仕切りやガラスなどを設置しない

などモネ自身によって厳しい条件が付けられています。


モネが1923年にしぶしぶ白内障の手術を受けたのは、
この大作を完成させるためだったといわれています。



作品の出来に満足していなかったモネは
一時は国家への寄贈を取りやめようとさえ思いましたが、
クレマンソーはモネに対し
「あなたのために国家は多額の出費をした。あなたには寄贈を取りやめるという選択肢はない」
との書簡を送りました。


モネは死の直前までこの大作に筆を入れ続けました。
そして「作品の展示は自分の死後にしてもらう」という条件だけは
断固として貫いたのであります。







生涯

クロード・モネは、1840年パリに生まれました。
5歳の時、一家でノルマンディー地方のセーヌ河口の街ル・アーヴルに移住。


モネは少年の頃から絵画に巧みで、
十代後半の頃には自分の描いた人の由来となったことはよく知られています。


なお、一般にはパリのマルモッタン美術館所蔵の
『印象、日の出』が、
この時の出品作だとされているが、
(この作品が「印象派」という名称の由来となります)
これには異説もあります。

印象、日の出



すなわち、マルモッタンの絵は実は「日没」を描いたもので、
第1回印象派展に出品された『印象、日の出』は別の作品だとする見方です。


物の戯画などを地元の文具店の店先に置いてもらっていました。
そうした戯画が、ル・アーヴルで活動していた風景画家ウジェーヌ・ブーダンの目にとまり、
彼らは知り合うことになります。


ブーダンはキャンバスを戸外に持ち出し、
陽光の下で海や空の風景を描いていた画家でした。
ブーダンと出会ったことが、後の「光の画家」モネの生涯の方向を決定づけたと言われています。



モネは1860年(1859年とも)、パリに出て、アカデミー・シュイスに学び、
ここでピサロらと知り合います。


2年間の兵役を経て1862年、グレールのアトリエに入り、ここではシスレー
バジール、ルノワールらと知り合っています。


1870年、普仏戦争を避けてロンドンへ赴きますが、
ここではイギリス風景画の第一人者ターナーを研究しました。

1876年の第2回印象派展には
日本の衣装を着けた妻カミーユをモデルにした
『ラ・ジャポネーズ』を出品しています。


これは、風景画家モネによる人物画の大作として注目されます。
なお、カミーユは1879年、32歳の若さで死去しています。

ラ・ジャポネーズ



モネはセーヌ河流域のアルジャントゥイユ、ヴェトゥーユなどで制作した後、
1890年、パリの西約80kmの郊外にあるジヴェルニーに土地を購入します。

以後、没するまでこの地で制作を続けました。
モネはジヴェルニーに
睡蓮の池を中心とした「水の庭」、
さまざまな色彩の花を植えた「花の庭」を造りました。


パリ郊外の観光名所として
多くの人が訪れるこの庭自体が、
自分の「最高傑作」だと
画家自身が言っていたといわれています。

モネは印象派グループの画家のなかではもっとも長生きし、
20世紀に入っても『睡蓮』の連作をはじめ多数の作品を残しています。


ルノワールセザンヌ、ゴーギャンらはやがて印象派の技法を離れて独自の道を進み、
マネドガらはもともと印象派とは気質の違う画家でしたが、
モネは終生印象主義の技法を追求し続けた、もっとも典型的な印象派の画家でした。







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