
春 |
サンドロ・ボッティチェッリ
(Sandro Botticelli)
1444/1445年
- 1510年5月17日
イタリア
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ボッティチェリ
(Botticelli)
『ラ・プリマベーラ』
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何とも優美なボッティチェリのプリマベーラ。
この絵をあなたのお部屋に飾ると
お部屋だけでなくあなたも優美な気分に浸れますよ。
ボッティチェリの「ラ・プリマベーラ」の本物は、
ウフィッツイ美術館に所蔵されています。
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ボッティチェリの作品を代表する最高傑作で、
イタリア・ルネサンスにおける古典の再生を象徴する名画です。
<ヴィ-ナスの誕生>と共に、メディチ家のカステルロにある別荘に置かれていた大作で
キュ-ピットを連れたヴィ-ナスを中心に、左側には杖で霧を追い払うマ-キュリ-と三美神、
右側には春の女神・プリマベーラと
陰険な風の神から逃れようとする花の女神・フロ-ラが描かれています。
イタリアを代表する画家でありながら永年忘れられ、今世紀に再評価されました。
フィレンツェのウフィッツィ美術館では、「ヴィーナスの誕生」とともに、
この「春」の前には、絶えずたくさんの人だかりができているそうです。
(私もウフッツィ美術館でこちらの絵を見た時は、まさに黒山の人だかりでした。)
画面一杯にたくさんの花がちりばめられた華麗で超装飾的な表現は、
ボッティチェリの自由な発想が写実を超え、豊かな詩的世界となって結実したもので、
その美しさが人々をとらえて離さないのではないでしょうか。
人気者の「春」は、ピエルフランチェスコ・デ・メディチ兄弟が購入した
カステルロの別荘のために描かれたもので、
詩人ポリツィアーノの詩「ラ・ジョストラ」から画想を得たものだと言われています。
彼女は純白で衣服も白地、
そこにはバラと草花が描かれ、
黄金の頭部から編まれた髪は、
慎ましくも高貴な額にしなだれかかる。
その瞳は、甘き青色に輝き、
そこにキューピットが自らの炎を隠している。
詩人 ポリツィアーノが書いた長編詩
「ラ・ジョストラ」(馬上槍試合)の一節です。
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「ラ・ジョストラ」は、1475年、騎芸競技会(ジョストラ)で優勝した
ロレンツォの末弟・ジュリアーノの武勇と美しいシモネッタの恋を祝福した作品で、
ボッティチェリはこの詩の世界に相当心惹かれていたようです。
ビーナスの誕生に描かれている裸体のヴィーナスは
『天上のヴィーナス』を表すとされているのに対し、
本作着衣のヴィーナスは『世俗のヴィーナス』を表わしているとされています。 |
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幾多の画家が描いてきた三美神。
中でもこのボッティチェリの三美神と、
ラファエロの描いた三美神が卓越した表現や
構図からルネサンスを代表する三美神の作品として認知されています。
画面中央に立つヴィーナスの左手で優雅に踊っている三美神は、
左から「愛」「貞節」「美」を象徴しているとされていますが、
このうちの一人が死んだシモネッタの再来の姿であると言われているそうです。
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また、画面の向かって右側では、西風のゼフュロスが、
大地の精クロリスをつかまえようとしています。
クロリスは逃げようとしているのですが、
春の風である西風のゼフュロスに触られると、
口から花がこぼれ落ちてしまい、徐々にフローラに変身してしまいます。
そのクロリスの化身した姿が、
そのまた左側で花をいっぱい抱えている女神フローラです。
つまり、右から2番目のクロリスと3番目のフローラは同一人物(女神)で、
同じ画面上にいっしょに存在してしまっているのです。
画面の右側に、「春」におけるもっとも劇的で印象の強い場面が
集約されたということになるでしょうか。
まさに、優美な一大叙事詩が展開されています。 |
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ボッティチェリの略歴
サンドロ・ボッティチェッリは、15世紀後半 初期ルネサンスで最も業績を残した
フィレンツェ派を代表する画家です。
本名はアレッサンドロ・ディ・マリアーノ・フィリペーピ (Alessandro di Mariano Filipepi)
といい、
ボッティチェッリは兄が太っていたことからついた「小さな樽」という意味のあだ名です。
ボッティチェルリ、ボッティチェリ、ボティチェリなどと表記されることもあります。
皮なめし職人の子供として1445年に生を受け、生涯独身をとおしました。
画僧フィリッポ・リッピの元で修行をおこない、
当時の花形工房であったヴェロッキオの工房とも関係を持っていました。
1470年に制作された商業裁判所のための寓意画『剛殺』が初作品。
以降約20年間にわたり時の権力者メディチ家の支配下にあったフィレンツェで
第一線の画家として活躍します。
| 1481年ローマに呼ばれシスティーナ礼拝堂の壁画制作に携わります。 |
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同年代にはラ・プリマベーラやビーナスの誕生など異教的な神話を題材にした傑作を残します。
メディチ家当主ロレンツォ・デ・メディチの死後、
ドメニコ会の修道士サヴォナローラがフィレンツェの腐敗を批判し、市政への影響力を強めると、
ボッティチェッリも心酔し、神秘主義的な宗教画に転じていきました。
しかし、この時期以降の作品は生彩を欠くとして人気が急落します。
1501年頃には制作を止めるに至りました。
享年65歳。

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