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ラウル・デュフィ
(Raoul Dufy)
1877年6月3日〜1953年3月23日
フランス
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30歳,バラ色の人生
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「色彩の魔術師」20世紀のフランス パリを代表するフランス近代絵画家。
デュフィ
(Dufy)
『30歳、またはばら色の人生』
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この絵は1911年以来
アトリエを持った
アパートの食堂の一角を
描いたもので、
壁紙や奥の壁掛けも
デュフィが手がけたものです。
ピンクの壁紙に、バラの花。
そして、題名「ばら色の人生」
この絵を見ていると
ホントにばら色の人生になりそうですね! |
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デュフィの「30歳、またはばら色の人生」の本物は、
パリ市近代美術館に所蔵されています。
デュフィ
(Dufy)
『ル・アーヴルの水の祭』
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ル・アーヴルの港と海岸通で
行われる海軍の祝典、
閲兵式を描いた作品。
生まれ故郷の街への思いが
込められています。
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デュフィの「ル・アーヴルの水の祭」の本物は、
パリ市近代美術館所蔵されています。
デュフィ
(Dufy)
『マルセーユの古い港』
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マルセーユの古い港風景が
情緒豊かに
表現された絵ですね。
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デュフィの「マルセーユの古い港」の本物は、
パリ市近代美術館に所蔵されています。
デュフィ
(Dufy)
『白い騎手』
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生命力溢れる馬の正確な描写と動き、
乗り手のケープに見られる
力強い筆使いと深い陰影、
鮮やかで大胆な色彩など、
彼の最も表現主義的な
作品といえるでしょう。
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デュフィの「白い騎手」の本物は、
パリ市近代美術館所蔵されています。
デュフィ
(Dufy)
『パドック』
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木版画やリトグラフにも熱中したデュフィは
若い頃から競馬に興味をもち、
馬の動きや騎手の華やかな服装、
集まる人々のモードに関心を示しています。
興奮した人々のざわめきが
聞こえてきそうですね。 |
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デュフィの「パドック」の本物は、
個人が所蔵されています。
デュフィ
(Dufy)
『オンフルールの埠頭』
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誕生地ル・アーブルをはじめ、
海と港に魅せられたデュフィは
1928年から35年ころ、
オンフルールやトルヴィルの埠頭を
数多く描きました。
この作品は初期のものです。
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デュフィの「オンフルールの埠頭」の本物は、
プチ・パレ美術館に所蔵されています。
デュフィ
(Dufy)
『帆船のある港』
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この絵には“クロード・ロランへの讃歌〃
という副題がつけられており、
このテーマは1927年以来
何度もとりあげられ、
多くのバリエーションの作品があります。
ここではロランの作品の図柄のうち、
帆船だけがもとの形をとどめており、
バロック風の噴水は消され、
左側のコロセウムと
右側の新古典様式の建物は
残されているが、
全体的に単純化されています。
そこにはデュフイが青年時代に
ルーブルで強い感銘を受けた
“光の風景画家〃への
遅まきの讃歌があります。
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デュフィの「帆船のある港」の本物は、
パリ市近代美術館に所蔵されています。
生涯 
1877年に北フランスのル・アーヴルという港町で生まれたデュフィは、
1953年76歳で亡くなるまで、おもにフランスで作品を描きつづけました。
同時期にフランス画壇で活躍した画家たちが、
ゴッホ(オランダ)、ピカソ(スペイン)、シャガール(ロシア)、フジタ(日本)、
など異邦人が多い中、フランスで生まれフランスで活躍したデュフィは、
フランス人にとって正真正銘の自国が誇るアーティストとして尊重され、
オルセー美術館、ポンピドーセンター、パリ市立美術館等の
有名美術館に多くの作品が収蔵されています。
日本でも、ホテル・ニューオータニを起こした故大谷米一氏のコレクションを
収蔵する鎌倉大谷美術館をはじめとした、
30を超える公立美術館でデュフィ作品は展示されています。
デュフィの明るく洗練された風景画を愛好するコレクターは現在も世界中にいて、
水彩画のちょっとした作品でも、クリスティなどのオークションで、
軽く数百万円の値段がつくこともしばしばです。
デュフィの作品は、ニース湾や競馬場を描いた明るい風景画、
ヴァイオリンやオーケストラをモチーフにした室内画、
パーティーで楽しむ人々や美しい花々など、
作品のみを見ていると幸せで仕方のないデュフィの人柄が
みえてくるようですが、客観的にみると、
デュフィの生涯はそれほどの喜びに満ちたものではなかったようです。 |
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デュフィ作「黄色いコンソール」 |
人生の半ばまでなかなか画業が認められず、生活も苦しかったデュフィですが、
その作風から明るさが消えることはありませんでした。
その作風は幅広く、初期には本当に画学生の見本のようなしっかりとした
デッサンの人物画や風景画を描いているのですが、
途中セザンヌの立体的な作風に影響を受けて、
ちょっとピカソやブラック風の作品に移行し、
ほとんど抽象的といわれるような作品を描いた時期もありますし、
マティスやドランといっしょにフォーヴィズム(野獣派)という芸術運動に参加して、
初期の暗い色調からフォーヴィズム特有の派手な色調に変化したこともありました。
その作風は他のフォーヴたちと違った独自の世界を築いています。
また、1920年代より、ポール・ポワレという当時の有名デザイナーに協力して、
生地のデザインやドレスの制作にたずさわったことも、
デュフィの芸術の幅をひろげた一因だったことでしょう。
第二次大戦中の1943年から44年にかけては、
ナチス・ドイツがパリを占領し芸術家を迫害したため、
スペイン国境に近い村に逃れて友人と共に暮らすのですが、
そこでも戦争のことなど忘れたかのように、村の風景や友人たちとの語らいの場面など、
のどかなデッサンが残されています。
やっとデュフィの芸術性が認められた頃には、リューマチを発病し、
絵筆を握ることもままならない日々が続き、療養のため、
南仏やアメリカにまで転地をくりかえしたのでした。
このように、決して平坦とはいえない人生を歩みながらも、
デュフィの一つ一つの作品----
光に満ちたニース湾、語りかけるようなみずみずしい花々、
ハーモニーが聴こえてくるようなオーケストラ等々は、
わたしたちに生きる喜びを伝えてくれるようです。 |
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デュフィの陽気な透明感のある色彩と、
リズム感のある線描の油絵と水彩絵は画面から音楽が聞こえるような感覚をもたらし、
画題は多くの場合、音楽や海、馬や薔薇をモチーフとして
ヨットのシーンやフランスのリビエラのきらめく眺め、
シックな関係者と音楽のイベントを描きました。
デュフィの作品が一見、美しい色彩をつかった平明な具象画に見えながら、
けっして飽きさせることなく多くの愛好家を獲得しつづけてきた秘密も、
そのあたりにあるのではないでしょうか。


〜くろいぬの豆知識〜
『野獣派とは?』
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フォーヴィスム(Fauvisme、野獣派)は、20世紀初頭の絵画運動の名称です。
1905年にパリで開催された展覧会サロン・ドートンヌに出品された一群の作品の、
原色を多用した強烈な色彩と、激しいタッチを見た批評家ルイ・ボークセルが
「あたかも野獣の檻(フォーヴ、fauverie)の中にいるようだ」と評したことから命名されました。
フォーヴィスムはキュビズムのように理知的ではなく、
感覚を重視し、色彩はデッサンや構図に従属するものではなく、
芸術家の主観的な感覚を表現するための道具として、
自由に使われるべきであるとされています。
ルネサンス以降の伝統である写実主義とは決別し、
目に映る色彩ではなく、心が感じる色彩を表現しました。
世紀末芸術に見られる陰鬱な暗い作風とは対照的に、
明るい強烈な色彩でのびのびとした雰囲気を創造しました。
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アンリ・マティス
モーリス・ド・ブラマンク
アンドレ・ドランらが
野獣派に分類されています。 |
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マティス作「ダンス」 |
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