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| フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス |
| (Francisco José de Goya y Lucientes) |
近代絵画の創始者の一人として知られるスペインの巨匠。
ゴヤ
(Goya)
大胆でのびやかな、流れるような筆触で描き込まれた「マハ」の姿は、
「裸のマハ」と「着衣のマハ」として知られています。
「裸のマハ」は、神話に題をとったベラスケスの「鏡を見るヴィーナス」を除けば、
スペイン絵画史上はじめての裸体画といわれています。
そして、絵画史上、初めて女性の陰毛を描いたとして、発表当時、
騒然たるセンセーションを巻き起こし、
後に異端審問所に告発されたといういわく付きの絵画です。
また、ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」と同じく、
この絵のモデルが誰なのか不明であることも
想像を掻き立てられ、魅了される理由の一つなのかも知れませんね。
生涯どの流派に属することもなく、ベラスケス、レンブラントを敬愛し続けたゴヤは、
聴覚と引き換えに得たのではないかとさえ思われるヴィジョンと判断力で、
「着衣のマハ」「裸のマハ」を描きました。
流れるような大胆な筆触で描き込まれた謎の”マハ”は、
服を着ていようといまいと200年以上たった今でも、
何よりもその神秘的な微笑で世界中の人々を魅了し続けています。
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ゴヤの「着衣のマハ」「裸のマハ」の本物は、
プラド美術館に所蔵されています。

1780年サン・フェルナンド王立美術アカデミーへの入会が認められ、
王室や貴族の肖像画を描きます。
その写実的な作風が当時飽食気味であったロココ美術に変わるものとして支持を受け、
1786年国王付の画家、1786年、新国王になったばかりの
カルロス4世の任命から宮廷画家となります。
1790年代に入ると原因不明の高熱の後、聴力を喪失してしまいます。
孤独と絶望のなかで次第に内省的になったゴヤは、
より深く人間を見つめた絵を描くようになります。
こちらでご紹介させて頂く「着衣のマハ」「裸のマハ」の絵の注文が
舞い込んできたのはこの頃でした。(1800年頃)
依頼主は、王室の実権を握っていた王妃マリア・ルイーサの愛人で、
25歳にして宰相にまでのぼりつめたマヌエル・ゴドイでした。
このチャンスにゴヤは、かねてから描きたいと思っていた
禁断の裸体画を描く決意をします。
それは、封建的な社会に対する挑戦状でもありました。
完成した「裸のマハ」は、ゴドイの隠し部屋に納められ、
限られた人のみが鑑賞することのできる絵となりました。
ところが思いがけず、この絵が白日のもとにさらされる事態が起きるのです。
ナポレオンの軍隊がマドリードに進軍、失脚し逃亡したゴドイ邸宅には
膨大なコレクションが残され、その中からこの絵が発見されてしまいます。
更にこの時、一緒に発見されたのが、
「裸のマハ」とまったく同じ構図の「着衣のマハ」。
ゴドイは、「裸のマハ」の上に同サイズの「着衣のマハ」を重ねて飾り、
ハンドルを回すと下から、「裸のマハ」があらわれる仕掛けを作っていました。
「着衣のマハ」は、禁断の絵を隠す役割も兼ねていたのです。
そして、このようにすることによって、
よりエロスが際立つと考られたと言われています。
1801年に王室を描いた作品『カルロス4世の家族』は、
中心に国王ではなく女王を描いたことで不評を買い、以降王室からの注文は減っていきます。
また当時のスペインはフランス軍の侵入もあり、
自由革命や独立闘争などの争いが絶えなかったという情勢もあり、
その時期には『巨人』『1808年5月3日、
プリンシペ・ピオの丘での銃殺』や、
住んでいた家の壁に描いた連作『黒い絵』など
数々の名作を描きました。 |
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巨人 |
当時のスペインの自由主義者弾圧を避けて
1824年フランスに亡命し、ボルドーで死去。享年82歳。


~くろいぬの豆知識~
『”マハ”のモデルは誰?』
1812年、カトリック教会の異端審問所は、
「裸のマハ」禁断の絵を描いた罪でゴヤを召喚しました。
ゴヤは厳しく追及されますが、何一つ語らなかった為、
証拠不十分で無罪となります。
しかし、ゴヤが黙して語らなかった為、この絵は、謎を残すことになります。
一体、モデルは誰なのでしょうか?
隠されれば隠されるだけ、人は知りたくなるもの・・・。
最も有力な説は二つで、一つは、ゴドイの愛人ペピーダという説。
実際に、彼女の顔は、マハの顔とよく似ていたと言われています。
もう一つは、スペインの名門貴族、アルバ公爵家の夫人がモデルだという説。
ゴヤが、社交界の華だった婦人に出会ったのは、
ちょうど耳が聞こえなくなってきた時期で、
惹かれあった二人はやがて愛し合うようになりました。
このアルバ公爵夫人説に強く異論を唱えたのが、当の公爵家でした。
格式高いアルバ家の女性が、一糸まとわぬ姿を世界中にさらしているなど、
名門にとっては耐えられない屈辱だったのです。
後世、公爵家は世間のうわさを完全に否定するために
思いがけない行動にでます。
1945年にその作業は始まりました。
何と、アルバ公爵夫人の墓を掘り起こし、
その遺骨を計測し、「裸のマハ」と比較しようとしたのです。
しかし、遺骨は完全な形では残ってはおらず、
実証はできませんでした。
結局、真相は謎のままです・・・。
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